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更新日:
 2010年9月23日


国名:ブルネイ・ダルサラーム国
   Negara Brunei Darussalam

 世界で3番目に大きい島「ボルネオ島」の北部に位置する東南アジアの小さなイスラム教国で、周囲をマレーシアに囲まれています。石油や天然ガスなど天然資源に恵まれており、国民の生活水準は高いです。国王であるスルタンが絶対権限を持ち、貴族はスルタンから称号を与えられ、身分を世襲すします。
 所得税はなく、医療費、教育費や高速道路も無料と福祉も行き届いています。ブルネイは「トゥンブロン地方」、「トゥトン地方」、「ブライト地方」、「ブルネイ・ムアラ地方」の4つの地方に分けられ、首都、バンダルスリブガワンのあるブルネイ・ムアラ地方には全人口の約6割が集中しています。
 また、国土の半分は熱帯雨林に覆われ、ボルネオのさまざまな動植物の宝庫となっています。国土の東側、テンプロン川流域は、熱帯雨林の広大な国立公園です。
 国王が造った遊園地「ジュルドン・パーク」には絶叫マシーンをはじめ、30以上のアトラクションがあって楽しめます。涼しくなる夕方からのオープンで、美しいライトアップや、噴水ショーも見ものです。

注:マレーシアによって2つの部分に物理的に分断されている。ほとんどマレーシアの中にある孤立領土である。

国境線:381 km(マレーシアと381 km)

首都:バンダル・スリ・ブガワン(Bandar Seri Begawan)
   人口:46,229人(1991年)
   ブルネイの首都で、ブルネイ最大の都市。1984年のブルネイ独立以前の名称はブルネイ市でした。ブルネイ湾に流れるブルネイ川の河口付近に位置する港町で、川の上にはカンポン・アイールと呼ばれる水上集落が存在します。

面積:5,765km2(三重県とほぼ同じ)
   三重県は5,777 km2。愛知県(5,164 km2)より大きく、茨城県(6,096 km2)より小さい。)

人口:40.6万人(2009年)
   (外国人在留者含む、出典:Brunei Darussalam Key Indicators 2009(ブルネイ政府首相府経済企画開発局(以下JPKE)))

民族:マレー系67%、中国系15%、先住系諸民族6%、その他12%。

人口増加率: 2.44%(1998年推計)
出生率:人口1,000人当たり 24.92人(1998年推計)
死亡率:人口1,000人当たり5.17人(1998年推計)
乳幼児死亡率(1歳以下):出生1,000人当たり23.3人
平均寿命:男性:70.17歳(1998年推計)
     女性:73.29歳(1998年推計)

識字率(15歳以上):全人口:88.2%(1995年推計)
 男性:92.6%(1995年推計)
 女性:83.4%(1995年推計)

言語:憲法で公用語はマレー語と定められている。
   英語は広く通用し、華人の間では中国語もある程度用いられている。

宗教:イスラム教(国教): 63%、 仏教:14%、 キリスト教:8%、道教など。

識字率:92%

労働力:144,000人(1995年推計)
注:軍の人員も含む

独立:1984年1月1日

憲法:1959年9月29日(1962年11月以来の非常事態宣言のもとで、いくつかの条項は停止された。他の条項は1984年1月1日の独立以来そのままである)

◎国旗
黄色はサルタンの色です。斜めに横断する白と黒の帯は、サルタンを補佐する2人の宰相(ワジール)を表わしています。中央の国章は国家繁栄のシンボルで、王家の権威を示す旗と傘が、平穏と安定を意味する翼の柱の上に乗っており、その基礎にはイスラム教を象徴する三日月があります。左右の手は政府を象徴しています。台座には「神の加護のもと善良なる者は栄えん。平穏なる町ブルネイ」とアラビア語で記されています。

◎行政
 行政区分:4区

◎政治体制
 政体 :立憲君主制

 議会 :1984年の独立直後から停止されていたが、2004年9月に再開され、議会の構成に関する憲法改正が行われ、構成議員の一部を選挙で選出することが規定された(但し、選挙の実施時期は未定)。

 元首 :ハッサナル・ボルキア国王(Hassanil Bolkiah)(第29代スルタン)

 首相 :ハサナル・ボルキア国王が兼任

 外務貿易相:モハメッド・ボルキア殿下(国王の実弟)

 選挙権:なし

 立法府:一院制

立法評議会(Majlis Masyuarat Megeri):
最新の選挙は1962年3月に行われた。 1970年にスルタンの命により、評議会議員はスルタンによる任命制に変更された。立法評議会の議員選挙制度は、憲法を改正する際に制定される予定である。しかし選挙は、当分ありそうもない。

 政党: ブルネイ国家統一党(ほとんど活動していない)
    ブルネイ国家連帯党(最初の合法的な政党、現在は禁止されている)
    ブルネイ人民党(禁止されている)

◎内政
 国王は宗教上の権威であるとともに、独立以来国政全般を掌握(現在も国王が首相、国防相及び蔵相を兼任)。石油と天然ガス産出により経済水準も高く、社会福祉も充実している。「マレー主義、イスラム国教、王制擁護」を国是とする。

◎外交外交基本方針
 独立後直ちに英連邦、ASEAN、イスラム諸国会議機構及び国連に加盟。ASEAN諸国との連携を重視。1992年に非同盟諸国会議に加盟。

◎軍事力
 国防予算:16億5,000万ブルネイドル
      (約10億400万米ドル、2009年歳出の18.5%、出典:国防省プレスリリース)
 兵役:志願制
 兵力:陸海空三軍の合計約8,300人(陸軍:約5,000人、海軍:約1,100人、空軍:約1,200人)、またグルカ兵約3,050名(現役約1,050人、退役約2,000人)が王宮等主要な建物の警備にあたっている。

◎主要産業
 石油・天然ガス(出典:BP statistical review of world energy 2010)
 産出量:石油(16.8万バレル/日)
     天然ガス(114億立方メートル/年)

◎名目GDP(出典:JPKEプレスリリース)
 204億ブルネイドル(2008年)、156億ブルネイドル(2009年)

◎1人当り名目GDP(出典:JPKEプレスリリース)
 51,300ブルネイドル(2008年)
 38,400ブルネイドル(2009年)

(注)GDPの約5割を占める石油、天然ガス部門の動向に大きく左右される。

◎実質GDP成長率(出典:JPKE GDPプレスリリース)
 4.4%(2006年)
 0.6%(2007年)
 −1.9%(2008年)
 −1.8%(2009年)

◎物価上昇率(出典:JPKE CPI REPORT MAY 2010)
 0.2%(2006年)
 1.0%(2007年)
 2.1%(2008年)
 1.0%(2009年)

◎失業率(出典:Brunei Darussalam Key Indicators 2009)
 4.0%(2006年)
 3.4%(2007年)
 3.7%(2008年)

◎総貿易額(出典:JPKEプレスリリース 2009)
・輸出
 10,430.2百万ブルネイドル(2009年)

・輸入
 3,491.9百万ブルネイドル(2009年)

◎貿易品目(2009年、出典:輸出JPKE External trade Statistics 2009、輸入JPKE MEDIA RELEASE EXTERNAL TRADE STATISTICS 2009)

・輸出
 天然ガス、石油(この2つで総輸出額の96.1%)

・輸入
 動物性又は植物性の油脂及びその分解生産物、調整食用脂、並びに動物性又は植物性のろう(26.4%)
 機械・輸送機器(13.5%)
 食料品及び動物(6.1%)
 工業製品(2.5%)

◎貿易相手国(2009年、出典:JPKEプレスリリース)
・輸出
 日本(46.1%)、韓国(11.6%)、インドネシア(10.8%)、インド(8.6%)、豪(7.3%)

・輸入
 ASEAN諸国(51.8%)、EU(10.3%)、米国(13%)、日本(8.9%)、中国(5.8%)

◎経済概況
 豊富な石油、天然ガス生産により安定した経済、高い所得水準を維持してきたが、2008年及び2009年におけるブルネイの経済成長率は世界金融危機で資源価格が大幅に下落したこともあり、マイナスとなった。エネルギー資源への過度の依存から脱却すべく、石油、天然ガスを原料にメタノール等を製造する石油「川下」産業の開発等経済の多様化を目指している。


☆ブルネイ生活情報

◎通貨(2010年9月)
 BND:ブルネイ・ドル(B$)
 補助通貨は、ブルネイ・セント(B¢)。
 1 Bruneian dollar (B$) = 100 cents

・紙幣
 B$1、5、10、50、100、500、1000、1万の8種類。
 
・硬貨
 B¢1、5、10、20、50の5種類。

 シンガポール・ドルと等価と定められているので、シンガポール・ドルをそのまま使用することが出来ます。(硬貨は使用不可)

◎為替レート
 1 B$=約67円(2010年6月末現在)
 1 B$=約62.5円(2010年8月末現在)
 注:ブルネイ・ドルは、シンガポール・ドルと等価交換されている

◎両替
 ブルネイ国際空港はホテル、市街の両替店のほかに、ほとんどの銀行で日本円の現金とトラベラーズチェックの両替が出来ます。
 銀行の営業時間は、月曜〜金曜(09:00〜15:00)、土曜(09:00〜11:00)、日曜と祝日は休業です。

◎時差(2010年9月)
 −1時間。(日本より1時間、遅れています。)

◎ビザ(2010年9月)
 日本国籍の方は14日以内の観光目的の滞在であればビザは不要です。それ以外の滞在の場合はビザが必要です。
 パスポートは、ブルネイ入国時に残存期間が6カ月以上あり、余白が2ページ以上あるものが必要です。

◎入国手続き
 ブルネイ入国時には「出入国カード」、「健康申告書」、「酒類持込み申請カード(酒類持込む場合)」の提出が必要になります。

◎出国手続き
 ブルネイ出国の際にはB$12の旅客サービス料が必要になります。(コタキナバルなど東マレーシアへの出国の場合はB$5)
 航空会社によっては航空券購入時に旅客サービス料(BN)を徴収する場合があります。購入した航空券に「JPY840BN」と記載されている場合は、すでに支払い済みですので、二重に払わないように注意して下さい。

◎税関(2010年9月)
 免税で持ち込めるものは、煙草200本、葉巻50本または紙巻煙草227グラム、酒類2本及びビール12缶、適度と思われる量の香水です。

◎航空会社(2010年9月)
 日本からの直行便は乗り入れていないため、東南アジアの主要空港を経由することになります。比較的便数の多いシンガポールや香港、その他にはクアラルンプール、コタキナバル、バンコク、マニラ、ホーチミンなどからの路線があります。

・ブルネイに就航する主な航空会社
 シンガポール航空、マレーシア航空、ロイヤルブルネイ航空

・空港から市内まで
 空港から市内までは約8km離れており、車で約10分〜15分かかります。
 タクシーは、到着フロア前のタクシー乗り場に待機しています。市内中心部までの料金はB$25ですが、空港チャージが加算される為、約B$30〜40になります。
 路線バスで移動する場合は、空港の外の案内に従って約200m離れたバスターミナルへ移動します。空港からはバスNo.23、24、36、38が市内まで運行されています。所要時間は約15分、料金はB$1。日中は約20〜30分間隔で運行されていますが、夕方は本数が少なく最終は18時頃です。

◎船での入国
 マレーシアのラブアン島より1日6便の高速艇エキスプレスボートが運航しています。所要時間は約1時間(B$15)。8:00〜16:30の間で運航されています。

◎陸路での入国
 マレーシア国内からバンダルスリブガワンへの直行バスはなく、路線バスを乗り継いで入国することになります。通常は、下記のルートになります。
 ミリ(マレーシア) − クアラベライト(ブルネイ) − セリア − バンダルスリブガワン
 バスの乗車時間は合計で約4時間ですが、乗り継ぎ時間も含めて、同日中に着くためには、ミリを朝早めに出発する必要があります。

◎電気事情(2010年9月)
 220V〜240V、50Hz。コンセントの穴は3つ穴式(BFタイプ)で、マレーシアと同じタイプです。日本の電気製品を使用する場合は、変圧器とコンセント変換アダプターが必要になります。
 
◎クレジットカード(2010年9月)
 VISA、アメックス、MASTERなどの主要国際カードが利用できます。
 
◎チップ
 チップは基本的に不要です。

◎税金
 税金はありませんが、高級ホテルでは10%のサービス料が加算されます。

◎電話(2010年9月)
 一般の電話から市内には無料でかけられます。公衆電話はカード専用なので、テレフォンカードが必要になります。

◎水
 水道水は飲用出来ますが、旅行者はミネラルウォーターを飲む方が良いでしょう。ホテルによっては部屋に備え付けのポットに用意されています。

◎酒
 ブルネイ国内ではアルコール類は販売されていません。滞在中にお酒を飲むためには、入国の際に持ち込む必要があります。17歳以上の非イスラム教徒であれば、入国時にウィスキーやワインなど2本及びビール12缶まで個人用として持ち込みが認められていますが、入国時に税関で申告する必要があります。

◎車(2010年9月)
 車は右ハンドル(左側通行)です。

◎タクシー
 メーター制タクシーの他に、空港タクシーや定額制タクシーと、料金体系が異なるタクシーがあります。流しのタクシーは少ないので、タクシー乗り場かホテルから利用する方が便利です。
 メーター制は、初乗り1kmがB$3で、距離に応じてB$0.20が加算されます。21時以降の初乗りはB$4.50になります。
  空港タクシーや定額制タクシーは行き先の地域ごとに料金が設定されています。

◎国際電話(2010年9月)
 国番号:673

◎気候:日本のようなはっきりとした四季はなく年間を通じて高温多湿です。
 年間の平均気温は28度。11月〜1月は比較的雨の多い時期です。
 服装は日本の真夏のもので十分ですが、イスラム教国なので公共の場ではノースリーブや短パンなど肌を露出したものは避けた方が良いでしょう。長袖の羽織るものを用意しておくと便利でしょう。

◎祝祭日(2010年9月)
 2010年の祝祭日は、下記の通りです。
1月1日 新年(New Year's Day)
2月14日 中国暦新年(旧正月)(Chinese New Year)
2月23日 建国記念日(National Day of Brunei Darussalam)(26周年)
2月26日 ムハンマド降誕祭(Birthday of Prophet Mohammad)
5月31日 王国軍記念日(Anniversary of Royal Brunei Armed Forces)
7月9日 ムハンマド昇天祭(Israk Meraj)(※)
7月15日 スルタン誕生日(Birthday of His Majesty the Sultan of Brunei Darussalam)(64歳)
8月11日 アワル・ラマダン(断食月の初日)(First Day of Ramadan)(※)
9月1日 コーラン啓示の祝日(Revelation of Holy-Quran)(※)
9月10日 ハリラヤ・プアサ(断食明け大祭)(Hari Raya Aidilfitri)(※)
11月18日 ハリラヤ・ハジ(犠牲祭)(Hari Raya Aidil Adha)(※)
12月7日 イスラム暦新年(Islamic New Year)(1432年)
12月25日 クリスマス(Christmas Day)

1) ※印の祝祭日はイスラム暦を基にしていますので、月の観測により1日ずれる場合があります。
2) 祝祭日前後はモスクでお祈りが行われる場合があり、その際は内部入場の規制があります。
3) ラマダン中は観光箇所の見学時間が短縮されますので、観光時間の調整が必要になります。
4) 断食明けの初日、2日目は観光箇所が閉館になります。

◎略歴
 近世以前の様子や王国の起源については、正確には分かっていません。他の東南アジア諸国と同様、4〜5世紀には都市国家として成立していたと思われますが、記録としては9世紀以降の中国にその名が取り上げられている程度です。
 ブルネイがはっきりと歴史に現れるのは、現在の王家の始祖、ムハンマド・シャーが即位した15世紀初頭です。ムハンマド・シャーは現代に続く国家の基礎を確立しました。この時代には国教をイスラム教に定め、これを周辺諸国へ布教することにより領土を拡大していきました。

14世紀末 アラク・ベタタール王がイスラム教に改宗して初代スルタン・モハマッドとなる。

 16世紀初頭、マラッカがポルトガルの手に落ちたことから、東西海洋貿易の中継地としての重要性が強まります。香辛料などを積んだ船が数多く立ち寄り、ブルネイは経済力を蓄えていきました。第5代スルタン・ボルキア(1473〜1521年)の時代には、現在のボルネオ島全体とフィリピンの南半分を従え、インドネシアの一部まで勢力下に置く海洋帝国として、大いに発展します。

16世紀 マゼラン艦隊、ブルネイ湾に入港。
 第5代スルタン、ボルキアの統治下、ボルネオ島全域とフィリピン南部を統治、ブルネイ王国の最盛期。

 1521年、この国を訪れたイタリア人ピガフェッタは、貿易で潤う帝都の水上集落(カンポン・アイル)を「東洋のベニス」と称え、「2万5千の家が繁栄を謳歌している」と旅行記で紹介しました。

1839年、サラワクの首長が反乱を起こしました。スルタンはこの地にやって来たイギリス人冒険家ジェームズ・ブルックに鎮圧を依頼しました。ブルックは英国海峡植民地政庁の協力で鎮圧に成功しました。彼は報酬として土地を割譲させ、クチンにサラワク王国を建国して白人王の称号を得ました。

 ブルックは、クチンを拠点にして周囲に領土を拡大していきました。 北部のサバは、フィリピンとブルネイの所有権が明確でなかったため、それに目を付けたイギリスは国策会社、北ボルネオ会社によってサバを支配しました。このように、 ブルネイはイギリスによって領土を侵食されていきました。

 18世紀末には、現在の領土とほぼ同じ広さにまで縮小してしいました。

 そして、1888年、ブルネイは、国家が消滅するかもしれないという危機感で、領土を保全するため、英国の保護領となりました。

1888年 英国と保護協定を結び、外交を英国が担当。

1906年 内政を含め英国の保護領となる。

 この強大な英国の力が失われるのは、第二次世界大戦時中のことです。日本軍は、東南アジアを植民地化していた西欧勢力を撃退し、戦時統治を始めます。これよりブルネイは軍港としても機能し、軍の艦隊が停泊したこともありました。しかし、1945年の敗戦により日本の統治は終わりを迎え、ブルネイは再びイギリスの統治下に置かれました。

1929年 ブルネイで石油が発見された。

1959年 外交、防衛を除き、自治を獲得した。

1961年 2年後のマレーシアの独立に向け、マレーシア初代首相に就任したアブドル・ラーマンは、シンガポール、ブルネイ、サバ、サラワクを含んだ連邦国家マレーシア構想を発表した。
ブルネイとマレーシア側との交渉が行われた。しかしブルネイの石油利権の取り扱いで一致せず、ブルネイはマレーシアへの統合を拒否。イギリス保護国のまま残留しました。

1962年 アザハリの反乱(ブルネイ人民党のメンバーによる、スルタン制及びブルネイのマレーシア連邦参加に対する反乱)
 11月、スルタンは、憲法を停止し、非常事態宣言を発した。(現在に至る)

その後、植民地化政策に反対する世論が高まり、1984年に主権を回復、独立を勝ち取りました。

1967年 現国王であるハサナル・ボルキアが即位した。

1984年 英国より完全独立(1月1日)




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